6/28は「中山道パート2」(sound art金曜夜8時)

今夜のSound artは、中山道アゲイン。先日の100回記念で話したかったんだけど、時間が足りなくて泣く泣く諦めたおはなし。どう考えても残念なので、今回はKuniが1人でご案内しました。中山道歴史資料館の安藤館長からとっておきのネタも仕込んでご馳走に仕上げました。「中山道パート2」きっと、お腹も心もいっぱいになったんじゃないでしょうか?

近いけど、実はよく知らない、名前くらいは知ってるけど、説明してと言われると心もとない。そういうことって案外あります。これを機会に、みなさんのお近くの史跡や名所などを訪ねて紐解いてみると、貴重なお宝に出会えるかもしれませんよ。歴史の旅はやはりロマンなしでは語れません。

各コーナーは

word コトノハ
なかせんどうは、漢字でどう書くのが正しいのか。中山道中仙道。現在は基本的にはどちらもOK。でも、いまから300年くらい前に出されたおふれは、「中仙道だったのを中山道にしなさい」という老中から道中奉行に出たお知らせ。「山」という字は「せん」と読むのが当時は本当だった。墨の手書きは半永久的に残って震災などがあってもにじんだりしないんだそうです。

寺子屋が今の小学校より少し少ないくらいと結構多かったから、識字率は案外高かったそうで、街道筋に出された高札も案外みんな読めたらしいですよ。算額というかなりレベルの高い幾何学を説いたものがお寺に奉納されていた、とか。もしかすると今よりも、みんな基本的な学力が高かった?のかも。

nature 自然
中山道ができた頃から残っているのが落合の本陣と石畳。これはかなり珍しいそうなので、行ってみる価値あり。前にお話したサンセットポイントも近いです。今でも木曽ヒノキは有名で、ここは尾張藩の御三家。無断で木を切ると厳罰になったんですが、この時代、お手打ちというのは、滅多になかった、というのが本当らしいです。悪代官というのも、実際にはやれない仕組みになっていたそうで、やっぱりこれも時代劇の情報の影響大です。

木曽の五木 左から ヒノキ・コウヤマキ・アスヒ(アスナロ)・ネズコ・サワラ

sound 音  Different Sky / Aus

feast ごちそう
ごへいもちのゴヘイ、の漢字はどう書くのか?五平、御幣、そして護兵というのまであって、中山道界隈のごちそうだった。囲炉裏端とかで焼いたら最高ですね。朴葉ずしにのせる具の鮭やサバを、海に面していないこの辺りにもたらしたのもやっぱり街道。これは福井の方に抜ける道があった。中津川宿は放射線に街道があって、人、モノ、金、情報が集まってくる流通の要所だったんです。人気役者のやって来る芝居小屋があり、俳句の師匠を京都や江戸から句会に招き、豪勢なおもてなしが繰り広げられた。地歌舞伎も盛んで文化の先進スポットだったんですよ。和宮のお輿入れでも有名。街道は、人だけじゃなくて、その人が持ってくるいろんなものも行き交う。そこにはいろんな交流があり、またそれが他の場所に運ばれる。やっぱりロマンがいっぱいの道です!

楽曲リスト